←この作品がCDジャケットに使われたことで特に知られるところとなったエリオット。彼は、そのウィットとトユーモアに富んだ人間味溢れる作風で有名だけど、こんな甘々な作品だけではなくじつはジャーナリスティックな作品、映画、広告の仕事など、じつに守備範囲の広い写真家である。
この写真集をながめながら、そういえばカツテ、彼のさまざまな作品を(主にポストカードですが)Whatにおいて紹介(販売)してきたことを思い出した。もちろん彼だけではなく、多くの写真家やアーティストのポストカードやポスターあるいはアート作品の類いを取扱い、紹介してきた。いまや、こういった商材は雑貨屋の流通からは消えうせてみじんもない。わかりやすいモノ、より売りやすいモノ、効率のイイものだけが幅を利かせ、いつのまにかどこの店もたいして変わらぬ品揃えになってしまった。
いつのころからコンナになっちゃったのか?
それは「癒し」という言葉が頻繁に世の中で使われるようになってからではないだろうか? 癒しグッズ...聞くだけでゲンナリな言葉だ。
雑貨をとりまく環境にとどまらず、くだらない道徳ソングみたいなレゲエがはびこり右肩下がりのJ-popおよび音楽業界を見ても似たりよったりの様子で、それは社会全体のムード・傾向なのかもしれない。
この仕事をしていて、いままでで最もうれしかったのは、デザイン関係の仕事に就いている数人の若者から「私はWhatで育ちました。Whatでアートやデザインの世界に触れて、この仕事を選びました。」と言われた時であった。「オイラのようなツマラン人間が、僅かであっても人様の人生に影響をおよぼすような、そんな仕事をしてたんだ...」涙が出るほどうれしい言葉である。どんなに右肩上がりで数字が伸びている時でもこんな喜びはなかった。
情報発信というのは新製品を紹介することでも、商品の蘊蓄を並べることでも、ストーリーという名の演出でもない。もちろんアートが偉くジョークグッズがだめな訳でもない。ただ、そこに店としての主張や伝えたいものが内在していなければ、商品を扱う価値などないということなのだ。
やはり、人として働く以上は、売上という記録ではなく、人の記憶に残る仕事をしたい。
写真集を眺めながら、Whatのこと、雑貨屋のこと、自分の仕事のこと、今後の人生のこと、などなどふと考えてしまった。
まあ大晦日だしこんなのもいいでしょ・・・やっぱりアートというのは自分をニュートラルに引き戻してくれるものなのかなっ...て「DOGS」はそんなシリアスな内容じゃありませんが...。
写真集はなかなか手がでないけど、
ポストカードは好きで、ついいろいろ買ってましたよ。
今じゃ、あまり置いてないもんなのでしょうか?
しかしそれにしても、
>いつのころからコンナになっちゃったのか?
それは「癒し」という言葉が頻繁に世の中で使われるようになってからではないだろうか? 癒しグッズ...聞くだけでゲンナリな言葉だ。…(以下省略)…
同感!激しく同感ですー!!
音楽に関しても仰る通り。
「私はWhatで育ちました。」って、
若いアーティストの言葉、本当に嬉しいでしょうね〜。
私まで泣けてきそうになりました。。
これからもどうぞ真っ正直なKingでいてくださいね。
投稿情報: yuki@mixi | 2009-01-02 01:37
いまのポストカードはイラストか「自分肯定」みたいなのバッカリですね。
写真は観るものではなく、撮るものへと変わったのかもしれません。それにしても、もうすこし「クオリティの高いお手本」が欲しいところです。
投稿情報: king | 2009-01-02 06:36